サイボウズLive導入事例 成蹊大学 法学部 塩澤一洋 様
2012/04/09
成蹊大学 法学部の塩澤一洋教授は、FacebookやEvernote、Dropboxなどのインターネットサービスを駆使し、ゼミにおける効率的な情報共有を模索してきた。そして2012年度のゼミ活動に、無料コラボレーションツール「サイボウズLive」を導入する。なぜサイボウズLiveを選んだのか、教育機関における情報共有の在り方と併せて取材した。 サイボウズLiveで創造性を発揮、大学に“脱メール”を――成蹊大学 塩澤一洋教授
雑誌『月刊Mac People』での連載など、多数の媒体に寄稿をしている。学生時代から磨いてきた写真の腕前は確かで、現地で撮影したスティーブ・ジョブズの写真は雑誌の表紙を何度も飾っている。ライフワークの一環として10年以上NGO活動を続け、1年に一度カンボジアに赴いて現地の大学で教鞭をとる。
多彩な顔を持つその人は、成蹊大学 法学部の塩澤一洋教授だ。「難しいことをやさしくするのが学者の役目、それを面白くするのが教師の役目」というモットーを持つ法律学者兼大学教員で、教育に創作活動に邁進している。
塩澤先生はFacebookやEvernote、Dropboxなどのインターネットサービスを駆使し、ゼミにおける情報共有の在り方を模索してきた。そして2012年度のゼミ活動に、無料コラボレーションツール「サイボウズLive」の導入を決めた。大学における情報共有の在り方について取材した。
「あなた自身が表現しないのならば、その場にいないのと同じことだ」
塩澤先生の教育に対する考え方はどういったものでしょうか?
私の専門は法律学で、民法や著作権法に関する講義・ゼミを実施しています。法律学とは事実を法律に照らして考えて、適切な解を見いだす学問ですから、自分で考えることが必要です。
法律に基づいて導き出される結論は100人いれば100通りありますので、いくら法律を学んでも、単なる知識を身につけるだけでは意味がありません。それを使って自分で考え、自分の答えを出せて初めて意義があります。解を出すためには自分で考えるとともに、自分と異なるさまざまな考え方の人と議論をして、思考を研ぎ澄ませていく必要があります。
私は「教育とは教えないこと」と考えていますから、ゼミではヒントを出すだけで答えを教えることはしません。唯一絶対の答えなど存在しませんし、答えは学生たち自身の中にありますから、学生に徹底的に考えてもらうのです。
教わったことはすぐに忘れてしまうのが人間ですが、自分で考えて出した答えは忘れにくいですし、仮に忘れたとしてもまた自分の力で解にたどり着けます。学生には考える力を養ってもらいたいのです。
塩澤先生
取材中に訪れた学生と真剣な眼差しで会話する塩澤先生。
奥に見える本棚の一角にはこだわりのカメラがところ狭しと並ぶ
「教えない教育」とは「自分で考えて答えを出す」ための教育なのですね。
そうです。いつも学生たちには、「あなた自身が表現しないのならば、その場にいないのと同じことだ」と言っています。私の授業では学生が自ら参加・発言し、その場にいる人達に対してコントリビューション(貢献)することを評価し、加点します。単に授業に「出席」しても評価の対象にはなりません。自分で考えずに他者の発言をうのみにしていると、人生面白くないですよね。
人間の本質は、考えて、新しい行動を起こすことにあります。講義では次々と学生に問いかけ続け、学生自身に考えて表現してもらいます。社会に出ると、自分で考えてアウトプットを出すことが必須です。その下地を作るために、大学という場を通じて個々の学生の自発的な表現力を育てていくことが重要なのです。
法律という学術分野にしばられることなく、学生の可能性を導き出す教育を続けていらっしゃるのですね。
はい、そうです。その意味において、法律は考えるための素材です。 法律にはさまざまなルールが定められています。ともすると人はルールを「自分をしばるもの」と考え、行動を制約しがちです。しかし本来、ルールは人をしばるものではなく、人が自由に生きる秩序を保つために存在します。
法律学を学ぶ学生には、民法や著作権法といった法律の条文の背後にある思想を把握した上で、事実に対してどう条文を適用して解を導き出すかを繰り返し訓練し、考え方や手法を体得してほしいのです。
塩澤先生のライフワークである写真の数々。
雑誌での連載に加え、ご自身による写真教室も開催
ですから、大教室の講義であってもみんなで声を出して条文を何度も読みますし、条文の細かい文言の意義を検討し、法律全体の体系から個々の条文の存在意義をとらえていきます。 法律学という素材を通じて、学生たちが自分の価値観を磨き、それに基づいた自己の見解を持ち、それを表現する力を養うとともに、自分の人生を歩んでいく確固たる自信を持ってほしいと願っています。 最近、小学校教員の友人が考えた「ゆたか」という言葉に非常に共感しました。「ゆっくり」「たのしく」「かんがえて」の頭文字を取った言葉であり、小学生に「考える」ことの重要性を教えているのです。素晴らしい教育ですよね。
Mac People
塩澤先生が撮影した写真は、Mac Peopleの表紙を何度も飾っている。
Photo by Kaz Shiozawaというクレジットは塩澤先生のものだ
双方向のオンラインゼミで、考える素地を作る
考えて自ら答えを出す人材を育てる。それが塩澤先生の哲学なのだと思いました。そのために、学生との情報共有もさまざまな工夫をしているとお聞きしています。
授業では私と学生が対話をする「双方向性」を重視するとともに、学生同士が意見を出し合うことを大切にしています。授業での発言回数はTA(ティーチング・アシスタント)が記録して、すべて成績評価の際に加点します。また、講義の最後に出す問題の解答や講義に対する意見を書く「オピニオンペーパー」を毎回提出してもらっており、毎週コメントを書いて返却します。
大学で教鞭をとって14年になりますが、すべての授業で欠かさずに続けています。 2011年度の講義とゼミでは、Facebookグループを使ってディスカッションをしていました。Facebookを使った理由は、「学生が考えて、議論する場」を授業やゼミなどの対面の場以外にも作りたかったからです。
授業やゼミは週に1度開催されますが、次回までの1週間の間に、学生たちが考えてアウトプットを出し合える場が必要でした。好きなときに考えて、いつでも意見を出せる環境として、Webは最適です。 Facebookグループでは、講義中に提示された「問い」に対する見解や授業の最後に私が出す「御題」への解答を投稿し、学生同士でコメントをしあいます。ゼミ生やロースクールの大学院生の間で活発な意見交換が行われました。 Facebookグループは、学生同士が自身の考えを明らかにし、質を深め合うインフラとして機能したのです。同時に、報告資料の共有にはDropboxやEvernoteを併用しました。
情報集約、そして「システム」「運営企業」に対する安心感
塩澤先生は2012年度のゼミから学生の情報共有にサイボウズLiveを導入するとお聞きしています。複数サービスの併用で成果が出ていた中で、サイボウズLiveの活用に踏み切った理由はありますか。
サイボウズLiveは、講義やゼミに関するすべての情報を1カ所に集められるからです。用途ごとに「グループ」を作成し、必要なメンバーを招待すれば、ディスカッションや共有ファイルなどの情報を、グループ活動に応じて一元的に扱うことができます。
私は授業やゼミのグループに加え、雑誌『Mac People』での連載、学部や学科の教員、カンボジアでボランティア活動をしているNPOなど、コミュニティーごとにサイボウズLiveのグループを使っています。
すると、いままでバラバラにメールで連絡を取り合っていた情報がグループごとにまとまり、すべてのグループの情報がサイボウズLiveに集約されます。これが大変便利だと思ったのです。
サイボウズLiveを使うことになったきっかけと現在の用途を教えて下さい。
メーリングリスト、Facebook、Dropbox、Evernoteを併用した情報共有を進めながら、よりよい仕組みを探していました。その時にサイボウズLiveに登録していたことを思い出したのです。サイボウズLiveを知ったきっかけは、過去にいしたにまさきさんにご紹介いただいたことだと思います。
実際に使い始めたのは2012年からです。ゼミでの正式利用は4月からですが、既に13のグループを運用しています。具体的には「学部のゼミ」「ゼミのOB幹事会」「学科の教員用」「Mac People」「カンボジアのNGO活動」などのグループを作り、主に「掲示板」を使っています。
例えば『Mac People』のグループには、副編集長、編集担当者、私の3人が参加しています。連載の原稿や校正、次期連載のテーマといったトピックごとに掲示板を分け、オンラインで議論をします。書き込みをするのは私と編集担当者の2人がほとんどですが、副編集長がグループに参加しているため、編集作業の内容や進み具合を副編集長が簡単に把握できます。この点はメールより優れています。
塩澤先生のホーム画面
塩澤先生のサイボウズLiveトップ画面。現在10以上のグループを運営している
教育機関でサイボウズLiveをお使いいただく上で、サイボウズLiveが満たしていた要件はありますか。
一言でいうと「安定感」が決め手だと思います。安定感とは「システム」「運営組織」という二面から説明できます。
1点目はシステムについて。サイボウズLiveを数カ月使ってみたところ、各種操作に対する反応や動作が軽快で、画面の乱れもほとんどなく、業務レベルでほぼ安定して使えました。Facebookグループは画面の再描画が起こり、書きこむ予定だった1000文字以上のテキストがすべて消えてしまった経験もあり、業務レベルでは使えないのではと思いました。
またボランティアで訪れていたカンボジアはインターネット回線が細いのですが、そこからも難なくコメントの投稿や閲覧ができました。サイボウズLiveはインタフェースやボタンの配置も日々改良が重ねられており、使い勝手や機能といった基本的な部分が安定しているとも感じました。
「運営組織」については、どのような意味合いでしょうか。
もう1つはサイボウズ株式会社という企業の安定感です。私はかつてシリコンバレーに2年間滞在し、さまざまなスタートアップ企業のビジネスを見てきました。そこで生まれるサービスは最新の技術を駆使し、日々変化します。いちユーザーとして、それらのサービスを使うことに楽しみを感じていました。
しかし、スタートアップ企業のインターネットサービスはいつ終了してしまうか分かりません。その場合、サービスに蓄積した情報を利活用するには手間と時間が掛かります。大学のゼミ運用や教職員のやりとりという「業務レベル」を考えると、終了する可能性があるインターネットサービスは「使えない」と判断せざるを得ません。
その点サイボウズLiveは、グループウェアを提供する国内大手で、企業向けクラウドサービス「cybozu.com」を提供するサイボウズ株式会社が開発しています。1グループ当たり20名以下ならずっと無料で使えるサービスを2年近くに提供し続けており、安定感のある会社が長期間サービスを継続している点を評価しています。
業務レベルでの運用においてはセキュリティが気になりますが、有料のクラウドサービスで実績を上げているサイボウズのサービスなら大丈夫だと判断できます。
“脱メール”への第一歩
先生は「サイボウズLiveで「脱メイル」しよう」というブログで、メッセージングを含むクラウドサービスの活用に言及されておりました。サイボウズLiveと脱メールの関係性について所感をお聞かせ下さい。
私は大学における情報共有について、「脱メール」を提案しています。「ITを生かすなら、20世紀の古い仕組みよりも新しくていいものを積極的に使っていこう」と考えているからです。メールは誰もが使えるツールですが、以下の点でデメリットを感じています。
重要なメールが埋もれてしまう
「引用返信」は、返信メールを受け取る側の人が議論の流れをつかみにくくなる
メールでよく行われる改行はPC以外のスマートフォンやタブレット端末の画面では不自然な改行になり、視読性が下がる
セキュリティが確保されていない
メールにおける引用返信は必要ではあるものの読みにくいですし、無用な改行は読み手の生産性を下げる“悪しき習慣”だと思います。しかし、こうしたデメリットがあるにもかかわらず、教育機関では依然としてメールが使われ続けています。
今はスマートフォンやソーシャルネットワークが一般的に使われており、メッセージングツールの利用は日常化しています。インターネットサービスを使った情報共有への抵抗も少なくなっているように思います。
その点サイボウズLiveは1対1のやりとりには「メッセージ」機能が使えますし、複数人なら「グループ」を作成してメンバー全員で情報を共有できます。議論したいテーマごとに掲示板を立てれば、メールのように情報が埋もれることもありません。
一気に「メールをやめよう」といいたいのではなく、こういったメッセージングツールにコミュニケーションの場を移す方が賢明だと思うのです。その意味で、サイボウズLiveを活用した「脱メール」は優れた効果が期待できそうです。
電子メールのアーキテクチャは複数人の情報共有に向いておらず、メッセージングなどのコラボレーションツールに軸足を置くということですね。その他についてはいかがでしょうか。
脱メールという視点でサイボウズLiveのメリットを感じている部分はほかにもあります。無料サービスであるにもかかわらず、広告が一切表示されないことです。もし広告が表示されていればチラチラと目に入ってわずらわしいですし、業務時間中に仕事以外のページを意図せずに見てしまい、生産性が下がることも考えられます。
脱メールのメリットとして、スパムメールや広告などの業務に関係のない情報を遠ざけられる点があります。広告が表示されないということは、インターネットサービスの採用基準として重要なポイントです。
サイボウズLiveは「ユーザーの創造性」をかきたてる
実際にサイボウズLiveをお使いになってみて感じることは?
今、複数のグループでサイボウズLiveを使っていますが、一番感じるのは「ユーザーの創造性をかきたてるツール」ということです。そう感じるのは、本質的に必要な機能のみを提供する潔さがあるからでしょう。
必要最低限の機能に絞り込むことで、ユーザー側は使い方を工夫できます。私が1988年からずっと愛用しているApple製品は、本質的な機能のみを提供しており、誰もが簡単に使えます。またApple製品は利用者の使い方や創造性次第で、質の高いアウトプットが出せます。これがクリエイターやクリエイティブな仕事をする人のマインドを刺激します。
サイボウズLiveにも、Apple製品のような創造性を感じます。基本機能のみをシンプルに提供しており、用途に応じてサービスの使い方を工夫できるからです。「このサービスはこう使わないといけない」というお仕着せがなく、ユーザー視点の開発が行われているように感じます。
驚いたのは、在宅医療での朝比奈完先生の使い方です。患者ごとにグループを作成し、診療するケアスタッフだけを招いて情報共有をしている事例を知り、使い方1つで多くの価値が生まれるサービスなのだと実感しました(参考記事:地域医療における「患者を中心とした情報共有」をサイボウズLiveで実現)。MacユーザーとサイボウズLiveは親和性が高いのではないでしょうか。
ありがとうございました。最後に塩澤先生の取り組みにおける今後の展望をお聞かせいただけますでしょうか。
教員として十数年、一貫して「学生の創造性を喚起したい」という信念を持ち続けています。「Education」とは、相手が持っているポテンシャルを引き出すことだからです。学生には付和雷同ではなく、自分で考え、表現し、行動してほしい。法律学を通じて学生たちの創造性を引き出すことができればうれしいです。
(2012/04/09)